夏の魔法にお願いしよう

エンディングなんてない

きょうは高校休みます。

 

今日、学校を休んだ。

小中高インフルエンザ以外で一度も休んだことのなかった私が、今日学校を休んでしまった。

この日が来るまではどれほど辛くても自分自身に我慢しろと言い聞かせ、耐えて学校に通っていた。そんな私の中で今日休んでしまったことをキッカケになにか自分自身でハードルを下げてしまった気がする。

そのハードルは私にとって下げてはならない、日常の義務感だったのかもしれない。

 

ゆとり世代」そう言われて育ってきた私は1997年生まれ、ゆとりが終わった次の年だ。いまさら悟り世代だなんて、そんな少しの言い換えはどう考えても受け入れられない。だからと言ってゆとり世代と言われても納得できない。(だって実際そうじゃないから)


これを見て欲しい。

ゆとり世代について

ゆとり世代とは、1987年度~1996年度生まれの「ゆとり教育」を受けた世代のこと。その特徴は「失敗を恐れる」「打たれ弱い」「プライベートを優先」「自主性がない」等が挙げられます。

「これだからゆとりは・・・」と、今の若者を批判する際に使われることが多いです。でも安定志向で倹約家、堅実な世代でもあるんですよ!

さとり世代について

「さとり世代」という言葉は、2ちゃんねるにおいて、山岡拓氏の著書『欲しがらない若者たち』(日本経済新聞出版社/2009)を語るスレッド内で誕生。2013年に朝日新聞が何回かにわたり「さとり世代」を特集したことで、広く一般に浸透するようになりました。

物欲も少なく、車、ブランド、お酒、旅行などにお金をかけず貯金をする傾向にあります。その理由は生まれたころから日本が不景気だから。派手な暮らしよりも、平凡で安定した生活が何より幸せだと考えているのです。

 

 

 

自分で考えてみたら見事にどちらにも当てはまっていた。

ゆとり世代「失敗を恐れる」「打たれ弱い」「プライベートを優先」「自主性がない」は完全に当てはまっている。

そして、悟り世代の「派手な暮らしよりも、平凡で安定した生活が何より幸せだと考えている」というのも当てはまっている。

 

そこで気付いたことがある。そう、それは次の段階という事。

ゆとり世代を理解して生まれ、さとった。」ということだ。

 

「失敗を恐れる」「打たれ弱い」「プライベートを優先」「自主性がない」人が、一攫千金を恐れ、それなりの安定した幸せな生活をのぞんでいる。

 

なるほど、これだ。ゆとり世代の次のステップという事だった。

本題はここから。こうなると周りからだけでなく、自分自身で背負うストレスがたまらなく多い。最初からSNSがあって、LINEというややこしいものが誕生し、グループをつくる。これがどういうことだと思う?

昔なら仲間はずれにされたことに気づけるけど、いまの時代そのようなことさえ なかったかのように表ではニコニコして、裏では陰口を叩いている時代なのです。(相当怖い)


ここでわたしの思っていることを叫ばせてほしい。



無理無理無理ーーーー!!

昭和に生まれるべきでした!神様戻してください!!


波風立たないことの多い完全プライベート(?)なグループ空間(略:グルチャ)でそこにいない人の話をして、その話をされた子は一生その話の内容を知らないことがそこらじゅうで日常的に行われている…。

 

 もう疲れた。

私はこれを勝手にパトラッシュ状態と呼んでいます。そんな毎日悲しいです。そんなの粋じゃないです。江戸っ子はどこに行ったの?ペータ先輩今すぐ世の中を変えてください。゚(゚ ˆ o ˆ ゚)゚。


さっ、ここであることに気づきました。

私は昔から泣かない子でした。ですが、この「もう疲れた。」というそれなりの辛さが喜怒哀楽の中に涙やリアクションを足してくれるということがわかったのです。


学校は休んではいけない、そう思った小中学校時代。今は違った気持ちで休んではいけないと思っている。それは、ずる休みをしている人をみて、ああはなりたくないと思う気持ちから。

強がりで休めない、そんな自分に罪悪感が多少ある休日を与えても誰も怒らないんじゃないかな。たまには 笑



そんな話でした!